ひとよし.kusufilmclub
人吉温泉郷芳野旅館
創業は大正二年と、人吉温泉旅館の中で老舗です。
こちらの芳野旅館さんは、大分の先哲三大口演童話家のひとり、久留島武彦翁のお気に入りの宿として人吉に来た時は必ず、こちらの芳野旅館に泊まったそうです。館内は純和風の雰囲気を保ち特に各部屋からは庭園を望むことができます。温泉は、半地下の低い位置にあり、創業当時は自噴していましたが、近隣の温泉掘削のため、現在は動力ポンプでくみ上げ、掛け流しています。温泉成分は植物性のミネラル成分を含む(モール泉系)ナトリウム炭酸水素塩化物泉です。
源泉温度44度 内湯42度 露天温度38度
循環、過熱はしていません。
当時の初代の社長は、どんな著名人でも普通のお客さんと同じように、誠意を込めて接することを自身の哲学としており文豪や画家の著名な方々の痕跡(サインや掛け軸等)は、いっさい残されていません。しかし小説の中や回顧録でこの芳野旅館の名は出てきます。その小説などを読んだその作家ファンの方々が芳野旅館に泊まりに来るそうです。私も司馬遼太郎先生が「街道をゆく」を執筆した部屋を見せてもらいました。「坂の上の雲」を読んでから司馬ファンでもあり大満足でした。
我が大分の先哲である久留島武彦翁も芳野旅館に確認しているだけでも、2回ほど長期間逗留しています。最後の宿泊した昭和33年2月9日(日曜日)に声を録音されることを嫌った武彦翁は愛弟子であった上村てる緒氏に録音を許可し保存された音源が残っています。


口演童話家久留島武彦翁本人の肉声音声資料は確認されているだけで、CD10枚の音源しか現存していません。人吉芳野旅館での音源は、10枚の中の2枚がその音源となります。
この貴重な音源の録音された座談会の行われた場所は両方に床の間がある大広間でした。キング・アーサーに出てくる円卓の間のように、この間では身分の上下はないものとし、難しい会合や話し合いの場として利用されていたそうです。この両床の間の大座敷は、とても珍しいそうです。
芳野旅館HPはこちらへ
創業は大正二年と、人吉温泉旅館の中で老舗です。
こちらの芳野旅館さんは、大分の先哲三大口演童話家のひとり、久留島武彦翁のお気に入りの宿として人吉に来た時は必ず、こちらの芳野旅館に泊まったそうです。館内は純和風の雰囲気を保ち特に各部屋からは庭園を望むことができます。温泉は、半地下の低い位置にあり、創業当時は自噴していましたが、近隣の温泉掘削のため、現在は動力ポンプでくみ上げ、掛け流しています。温泉成分は植物性のミネラル成分を含む(モール泉系)ナトリウム炭酸水素塩化物泉です。
源泉温度44度 内湯42度 露天温度38度
循環、過熱はしていません。
当時の初代の社長は、どんな著名人でも普通のお客さんと同じように、誠意を込めて接することを自身の哲学としており文豪や画家の著名な方々の痕跡(サインや掛け軸等)は、いっさい残されていません。しかし小説の中や回顧録でこの芳野旅館の名は出てきます。その小説などを読んだその作家ファンの方々が芳野旅館に泊まりに来るそうです。私も司馬遼太郎先生が「街道をゆく」を執筆した部屋を見せてもらいました。「坂の上の雲」を読んでから司馬ファンでもあり大満足でした。
我が大分の先哲である久留島武彦翁も芳野旅館に確認しているだけでも、2回ほど長期間逗留しています。最後の宿泊した昭和33年2月9日(日曜日)に声を録音されることを嫌った武彦翁は愛弟子であった上村てる緒氏に録音を許可し保存された音源が残っています。


口演童話家久留島武彦翁本人の肉声音声資料は確認されているだけで、CD10枚の音源しか現存していません。人吉芳野旅館での音源は、10枚の中の2枚がその音源となります。
この貴重な音源の録音された座談会の行われた場所は両方に床の間がある大広間でした。キング・アーサーに出てくる円卓の間のように、この間では身分の上下はないものとし、難しい会合や話し合いの場として利用されていたそうです。この両床の間の大座敷は、とても珍しいそうです。
芳野旅館HPはこちらへ